岐阜公園から岐阜城を目指して、前篇からの続きです。
今回の立ち寄り処には青字の数字をマップに付しましたので、参考にしてください。
“瞑想の小径(こみち)”登山道に入る前に、少し寄り道を…
散策をしていて偶然出くわしました。
緑のフェンスに囲まれ、「信長公居館跡発掘調査」ののぼりがあります。WEBで確認したのですが、発掘調査は現在でも継続して行われていました。
前篇でお伝えした遺跡は居館の入口部分に当たるようで、館の姿や配置など居館の多くの部分はまだ謎のままだそうです。表土を掘削し、トレンチという発掘抗を掘って土層の堆積状況を確認しています。
調査場所の近くに小さな滝を見つけました。“信長の滝”だそうです!?
なぜこのような地に明治天皇の像があるのでしょうか…
明治45年(1,912年)7月30日、明治天皇が崩御され、京都市伏見区にある伏見桃山陵(ふしみももやまりょう)に斂葬(れんそう)されました。
その伏見桃山陵に対峙して、崩御の命日に明治大帝聖像建立奉賛会が聖像を建立したようです。
高さ25.8m(相輪含む)、面積35.94㎡の三層の塔。
五穀豊穣、市内繁興を祈願したもので、大正天皇御大典を記念して1,916年5月に建立されたそうです。
御大典(たいてん)とは、即位の礼および宮中祭祀である大嘗祭(おおにえのまつり)の一連の儀式のこと。
それでは頂上の岐阜城目指して出発です。
木の根が所々地表に露出していますが、なだらかで登りやすい登山道…と思っていたのは中腹くらいまででした。
途中、“瞑想の小径”と“馬の背登山道”の岐路があります。
「ここからわかれて右に行くと馬の背登山道です。大変急峻(きゅうしゅん)な山道で途中断崖や難所が多く約30分で頂上へ登れますが、危険なので老人や幼児は○○無理です。」
「左へ行くとめい想の小径です。別名を水の手道といいます。長良川の清流を望む眺望の良い登山道であり、30~40分で山頂の岐阜城に行くことができるので、登山者に大変親しまれています。」
岐阜市 岐阜森林管理署
だんだん勾配がきつくなってきました。
ビューポイントの立て看板があるところでは、このような景色を望めます。
この辺りまでくると汗だくだくで、息は上がり鼓動も激しく心臓が限界を告げる状態でした。日ごろの運動不足を思い知らされました。
この他にも岩場や崖のようなところもあったのですが、写真を撮る気力がありませんでした。登りきることのみで精一杯です。
私のように感じた方が他にもいらっしゃったようで、ご参考にしてください。
1,549年、信長16歳のときに蝮(まむし)の道三(斉藤道三)から濃姫をもらいうけ、そののち、“うつけ”と称されていた信長の潜在的な器量を見抜いた道三が「わしの子供はいつか、おことの門前に馬を繋ごう」と予言してから14年目の1,567年、34歳の信長は道三の孫 斉藤龍興(たつおき)を放逐し、京洛を望む城 稲葉山城(岐阜城)をついに攻略しました。
現存の岐阜城は復興天守で、1,956年(昭和31年)7月25日に再建された三層四階構造の鉄筋コンクリート造りです。標高329mに築城された有数の城です。
城内は、3階までが史料展示室、4階は展望台となっており、長良川や岐阜市街を一望する事ができます。入城は有料です。
(↑)乗鞍岳、北アルプス方向です。
(↑)舟伏山(ふなぶせやま)、能郷白山(のうごうはくさん)方向です。
(↑)一宮(いちのみや)、名古屋方向です。
(↑)中央アルプス、笠置山方向です。
中篇はここまでです。次回は岐阜城からの下りをメインに綴りたいと思います。
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