結城城跡公園に向かう道中に“みかつきはし(三日月橋)”があります。
この“みかつきはし”は、2,007年に「いばらき100名橋」に選ばれました。
100名橋の選定基準は、「建造物として技術的に優れている」「姿や形が美しい」「古い歴史や伝承を持つ」「周辺の環境と調和がとれている」「住民の暮らしと深いかかわりがある」「産業の振興に貢献している」といった特徴を持っていることだそうです。
さて、この“みかつきはし”、結城城跡公園のすぐ傍に存在することから、「古い歴史や伝承を持つ」という特徴を推し量ることができます。。。
どうやら“みかつきはし”の立地は、埋蔵金の探索のために掘り返えされた場所らしいのです。
平安時代末期から鎌倉時代前半にかけて活躍し、鎌倉幕府の有力者でもあった結城朝光(ともみつ)の財宝が埋蔵されているかもしれないというのです。
1,189年に従軍参戦した奥州征伐(奥州合戦)で敵将を討ち取って活躍した朝光は、源頼朝から恩賞として黄金などの財宝を貰い受けました。
その財宝は代々結城家の当主に受け継がれていったのですが、第17代当主 結城晴朝(はるとも)の時代、当時の覇者 徳川家康による財宝没収からのがれるために、晴朝は旧結城領のどこかに財宝を埋蔵して隠したそうです。
その後、財宝を手に入れようと掘り返されることが幾度と無くあったようですが、いずれも無駄骨に終り、今日に至っているそうな。。。
(埋蔵金伝説:結城晴朝の黄金 ご参照)
結城の黄金伝説、いかがでしょうか…
“みかつきはし”が「いばらき100名橋」に選ばれた理由を垣間見た気がします。
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