南アフリカ共和国はアフリカ大陸の最南端に位置する国家。
1,995年にラグビーワールドカップが、2,010年にFIFA(サッカー)ワールドカップが開催されたことはまだ記憶に新しいことと思います。
この南アフリカ共和国では1,948~1,991年の43年もの間、アフリカーナーの国民党が推進したアパルトヘイト(人種隔離)体制により、非白人を差別する政策がずっと続けられていました。
※アフリカーナー:オランダ系白人を主とした民族集団
※非白人:黒人、インド、パキスタン、マレーシアなどからのアジア系住民や、カラードとよばれる混血民。
国際社会から非難や経済制裁を受けたのは当然のことですが、1,989年に就任したフレデリック・ウィレム・デクラーク第7代大統領がこれまでの政府方針を転換してアパルトヘイト撤廃政策を進め、1.991年に差別、弾圧関連の法律を廃止します。
このように改革の口火を切ったデクラーク大統領ですが、弾圧してきた他政党のアフリカ民族会議 (ANC)、パン・アフリカニスト会議(PAC)、南アフリカ共産党の合法化も行い、1,990年にはANC元副議長ネルソン・マンデラの釈放を断行しました。
そう、このネルソン・マンデラがこれから紹介する映画インビクタス(負けざる者)の主人公です。
ネルソン・マンデラは1,944年に26歳でANCに入党、1,952年には副議長に就任(34歳)して国民党のアパルヘイト体制に反対し続けてきた人物ですが、1,962年に国家反逆罪で逮捕されます(44歳)。
その後27年間におよぶ途方もない監獄生活を強いられたネルソン・マンデラは、強靭な精神力でこれに耐え忍び、72歳を迎えた1,990年にようやく釈放されると、1,994年にはついに全人種参加による総選挙が実施されてANCが与党となり、ネルソン・マンデラが第8代大統領に就任しました(74歳)。
“我が運命を決めるのは我なり” “我が魂を制するのは我なり”…
決して屈することのない強い信念に支えられた彼の切なる願い…
それは、黒人と白人の和解、白人と黒人の融和、差別や対立を無くして国をひとつにすることでした。
そんな彼の目に留まったのが、黒人選手がわずか一人しかいないという自国のラグビー代表チーム“スプリングボクス”です。
このチームを応援するのは白人で、黒人は相手国を応援するという異様な現実に、実力も低迷していることろへラクビーワールドカップが自国で開催される運びとなります。
そしてネルソン・マンデラ大統領は、国をひとつにするという悲願の第一歩を、“スプリングボクス”のラクビーワールドカップ優勝に託すのでした。
報復ではなく融和を、対立ではなく協調を…
「選挙によって黒人は勝利した。アフリカーナー(白人)は敵ではなく民主主義のパートナーだ。卑屈な復讐をするのではなく、我々の国家を築くこと。。。」
自ら率先して行動し、人々を説得し続け、そして“スプリングボクス”の支援に奔走したネルソン・マンデラ大統領…
1,995年、ラグビーワールドカップ南アフリカ大会の幕がいよいよ切って落とされました。
“スプリングボクス”の勝利の行方は…ネルソン・マンデラ大統領の願いは…
ひとつの願いが国を変えた実話の物語です。
ネルソン・マンデラ大統領を演じたのは、マンデラ氏自身からも切望されたというモーガン・フリーマン。
代表チーム“スプリングボクス”主将フランソワ・ピナールに扮したのは、名実とも映画スターに上り詰めた名優マット・デイモン。マンデラ大統領の意志に賛同しチームを導いていきます。
“インビクタス”とはマンデラが獄中で心の支えにした詩の題名で、“征服されない”という意味だそうです。
当時の差別、弾圧の根は深く、いまでもその影響が残っているようですが、誰かが勇気ある行動を起こさねば何も変わらず何も進展しませんでした。
不屈の精神で自らの信念を貫き通したネルソン・マンデラ大統領と彼を支えた人々…
感動のシネマです。ぜひご賞味あれ。。。
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