豊臣秀吉の命により、越前大野城主であった金森長近(かなもりながちか)は、織田信長亡きあと飛騨を制圧した三木自綱(みつきよりつな)=姉小路 頼綱(あねがこうじ よりつな)を討伐し、秀吉から飛騨一国を与えられました。
1,586年、金森長近は3万3千石の飛騨国主となります。長近は1,588年から高山城築城を開始し、16年の歳月をかけて完成させたそうです。
高山城下は、築城と並行して城下町の整備が行われ、城を取り囲むように高台を武家屋敷とし、一段低いところを町人の町としました。この町人の町が現在の“古い町並み”の元なのです。
商人の町として発展した上町、下町の三すじの町並みを合わせて“古い町並み”と呼んでおり、「飛騨の小京都」の景観から情緒豊かな風情がただよっています。
今回は、地図の①~④のエリアを時間の許す限り歩いてきました。
①高山陣屋
高山城主金森氏の下屋敷の一つでした。
飛騨が徳川幕府の直轄地になってからは、江戸から派遣された代官や郡代がこの地を治め、この屋敷は役所(兼住まい)として使われたそうです。
陣屋とは、江戸時代に郡代・代官が治政を行った場所で、御役所や郡代(代官)役宅、御蔵などの総称です。幕末には全国に60数ヵ所あったと言われている郡代・代官所の中で、当時の建物が残っているのはこの高山陣屋だけです。
明治維新以後は、陣屋の建物は高山県庁舎等として使用され続けました。1,969年(昭和44年)に飛騨県事務所が移転した後、岐阜県教育委員会が修復・復元に取り掛かり、足かけ16年の歳月をかけて1,996年(平成8年)3月に完成しました。
陣屋前の朝市です。
明治の中頃から農家の奥さんたちによって野菜などが並べられるようになり、朝市と呼ばれるようになりました。朝市は、この陣屋前広場の他に宮川沿いにもあります。
飛騨高山の伝統ある朝市は、歴史ある高山の風物詩です。
②中橋近辺
宮川にかかる“中橋”です。朱色の橋であることから“赤い中橋”とも呼ばれているそうな。
今は時節ではないですが、周辺には桜や柳の木が立ち並び、飛騨高山の観光名所のひとつになっています。
③高山市政記念館
1,895年(明治28年)から1,968年(昭和43年)まで高山町役場、市役所として使用されていました。建築材は総檜で最高の官材が使われており、当時初めてガラスが導入され、硝子障子という名称で各所に使われているそうです。
その後公民館として利用されていたものを修理・整備し、1,986年(昭和61年)に市政記念館としてオープンしました。
④古い町並み
出格子(でごうし)のつらなる軒下には用水が流れ、造り酒屋には杉の葉を玉状にした“酒ばやし”が下がり、町屋の大戸や老舗ののれんが軒を連ねています。
私が観ている“古い町並み”は“三町伝統的建造物群保存地区”です。もう少し歩けば、“下二之町大新町伝統的建造物群保存地区”もあります。
“古い町並み”は、“岐阜県 高山市 三町 商家町”という名称で1,979年(昭和54年)2月3日に重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
1,975年(昭和50年)に改正された文化財保護法よって伝統的建造物群保存地区の制度が発足し、城下町、宿場町、門前町など全国各地の歴史的な建造物の保存が図られるようになりました。
市町村が伝統的建造物群保存地区を決定し、保存条例に基づいて保存計画を定め、国に申請します。国は、歴史的価値が高いと認められるものを重要伝統的建造物群保存地区として選定します。
2,010年(平成22年)12月現在,重要伝統的建造物群保存地区は75市町村88地区、約16,512件の伝統的建造物が保存すべき建造物として選定されているそうです。
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