織田信長が居城の一つ、そして信長死去後に清洲会議が行われた清洲城は、JR東海清洲駅から約2km(徒歩約30分)、東海道本線沿線に位置する戦国城です。(名鉄名古屋本線新清洲駅からだと約1km(徒歩約15分)程度だと思います)。
築城は1,405年(応永12年)、室町幕府尾張守護の管領斯波義重です。その配下、尾張下4郡を支配した守護代 清洲織田氏「織田大和守家」の居城でした。
一時期、「織田弾正忠家」の当主織田信秀(信長の父)が清須奉行として居城していましたが、信秀が古渡城に拠点を移すと守護代「織田大和守家」の後継者織田信友が清洲城に入城します。
この信友は、信長の父 信秀の死後、信長の弟 織田信行の家督相続を支持したことから信長と対立します。信友はその後、守護の斯波義統を暗殺して勢力を拡大しようとしますが、1,555年(弘治元年)織田信光(信秀の弟で信長の叔父)によって主殺しの罪で殺害され、以降信長が本拠として清洲城に約10年間居城しました。
信友の死によって守護代 清洲織田氏「織田大和守家」は断絶、さらに信長の弟 信行も謀反の企てが再度発覚し、1,557年(弘治3年)信長によって清洲城にて謀殺、岩倉織田氏「織田伊勢守家」も1,559年(永禄2年)に降伏、これにて尾張は信長によって統一されます。
↑織田信長をお祀りした小社です。命日である 6月2日には、社前で“織田信長公顕彰祭”が毎年行われているそうです。
↑本来の天守台跡に在る石碑には、“右大臣織田信長公古城跡”と刻まれています。幕末に建てられました。
再建清洲城…1,989年(平成元年)「美しい歴史のまちづくり」を目指した清洲町の町制百周年記念事業として清洲城は再建されました。
清洲城とは線路を挟んで対峙する清洲公園に、織田信長公の像があります。天をも味方につけた、かの有名な桶狭間に出陣する26歳の織田信長で、1,936年(昭和11年)に造られました。桶狭間の方角を見つめているのだそうです。格好いいじゃありませんか。。。いまで言うイケメンですね。
戦国の世に彗星のごとく現れた英傑 織田信長…苦渋の決断で叡山と本願寺を焼き討ちし、立ちふさがる敵は武田勝頼、上杉謙信、中国の毛利輝元ら。
長篠の合戦では鉄砲による新戦法で武田軍を圧倒し、無類の戦上手と酒豪で知られた強敵 謙信は突然の死去。
信長の天下統一も目前、しかしながら秀吉の応援に向かう道中の京都本能寺にて不世出の天才は命を落とします。
人間五十年 下天の内を くらぶれば 夢幻の如くなり 一度生を得て 滅せぬもののあるべきか…
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