廻船問屋
富山港展望台から見える、一風大きな瓦屋根の家々。
その一画だけ普通の住宅とは趣を異にしていることが素人目にもわかります。
ここ富山市東岩瀬は、江戸初期から日本海を往来する北前船(きたまえぶね)の港町として栄えてきました。
江戸中期以降は日本海から門司を抜け、瀬戸内海ルートで大坂、江戸に向かう西廻り航路が発達しました。
北前船は、米、むしろ・縄などのわら製品をはじめとする生活物資や、魚肥・かずのこ・昆布・サケなどの特産物を運んでいました。
このように北陸の港町は廻船業で栄え、廻船問屋の巨大な町家が軒を連ねるようになりました。
廻船問屋は、船を所有する海運業者であり、荷主であり、そういった商品をさばく問屋商人でした。
[出典]
とやま観光ナビ(岩瀬まちめぐり)
県民カレッジ(テレビ放送講座 平成10年度テキスト「第4回 町屋とその町並み」
岩瀬は加賀藩の領地で御蔵があり、北前船で米や木材などを大阪や江戸に運んでいました。
明治6年に大火があり、約1,000戸あった家屋の内、650戸が焼失しましたが、当時、廻船問屋業が全盛を迎えていて、廻船問屋を始めとした財力によって、岩瀬独自の家屋様式「東岩瀬廻船問屋型」などの家屋として再建されました。
現在の岩瀬の街並みは、明治期に建てられた家屋が多く残っている廻船問屋群のある街並みです。
[出典]
岩瀬まち歩きまっぷ(岩瀬地区の歴史)
北前船のモニュメントです。
明治中期に造られた北前船を模したもので、実物の1/12の大きさだそうです。
国の指定重要文化財に指定されている「北前船廻船問屋森家」です(右側)。
左側に入口の大戸があります。その右には、簾(すだれ)を格子のように使った出格子(スムシコ)が並んでいます。
1階の庇(ひさし)は、起り(ムクリ)の付いた杮葺き(こけらぶき)です。
森家の様式は、建築当時の佇まいを残す東岩瀬廻船問屋型の代表的なデザインです。
(北間船廻船問屋「森家」公式パンフレント)
こちらは、岩瀬の名物、大塚屋の「どらやき」です。
“どらやき”らしからぬ形をしていますが、しっとりとした薄皮の中には、粒餡がぎっしりと詰まっています。
濃厚で深みのある味わいと粒餡の上質な食感は絶品です。
富山観光ナビ 三角どらやき
食べログ 和菓子屋 大塚屋
富山は岩瀬の町歩き。
大町新川町通り(旧北国街道)は他にも見どころ、食べどころがあります。
いつもながらのお昼時の限られた時間内での散策でした。。。
(撮影はDMC-LX3(どらやきを除く))
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