厳かなるかな善光寺。。。
「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え、極楽浄土への願いを阿弥陀如来に托(たく)することで極楽への往生が叶います。
阿弥陀如来に縋(すが)ることから“他力本願”といいます。
その西方極楽浄土の教主、主宰の阿弥陀如来像(一光三尊阿弥陀如来像)が御本尊として祀られているのが、信州善光寺です。
三尊阿弥陀如来像は、中央に阿弥陀如来、向かって右側に観音菩薩、左側に勢至(せいし)菩薩、一つの光背の中の立像ですが、絶対秘仏であるがゆえに今日その姿を礼拝することはできないそうです。
したがって7年に一度の御開帳では前立本尊が公開されます。昨年5月31日に開帳されました。
←一光三尊阿弥陀如来(出典:信州善光寺)
644年に創建され約1,400年の歴史がある善光寺を訪れてきました。
JR長野駅から中央通りをまっすぐバスで約10分、twitterで教えていただいたとおり100円の乗車運賃で善光寺大門下車。
バス停から参拝通りに向かって歩いてゆくと、最初に見える大きな門が“仁王門”です。
1752年に建立されましたが1847年の地震で焼失し、1864年再建されたものの1891年(明治24年)の火災で再び焼失。
写真の仁王門は1918年(大正7年)に建立されたものだそうです。
この“仁王門”には、両サイドに2体の仁王像が安置されています。
製作者は“高村光雲”と“米原雲海”と掲示されており、立派な彫刻で迫力があります。
高村光雲は、上野公園の西郷隆盛像や皇居の楠木正成像を製作した人だそうです。。。納得。
向かって左が阿(あ)像、右が吽(うん)像。朝日を受けるのは阿像で、夕日が当たるのは吽像らしい。
確かに撮影時刻が16時頃なので右側の吽像に日光が当たっています。
阿吽(あうん)とは仏教の真言の1つで、阿とは物事の始めを表し、息を吐いている開口の様相。
吽とは物事の終わりを表し、息を吸う閉口の様相です。
そこから、2人の人物が呼吸まで合わせるように共に行動しているさまを“阿吽の呼吸”というようになったそうです(参照サイト)。
“仁王門”を通り抜け、正面に見える“三門”に向かって“仲見世通り”を上がっていきます。
両側にお店が立ち並び、参拝通り独特のこういった雰囲気が私は好きです。
六道という六つの世界があります。
天上, 人間, 修羅, 畜生, 餓鬼, 地獄のいずれかに、人は死後に転生します。
“六道思想“といわれ、各世界を受けもつお地蔵さまが“六地蔵”です。
一番右側のお地蔵さまは足を外して座っています。
地獄を担当しているだけあって凄みがあるように一見しますが、片足、または両足を蓮台の外に出す座り方の像は”半跏椅像”と呼ばれています。
日本全国を行脚する巡礼者の供養のため、善光寺聖・法誉円信が造立した延命地蔵尊(濡れ仏)です。
江戸の大火を出した八百屋お七の冥福を祈って、吉三郎が立てたという伝説もあるそうです。
本堂に到達する前に、本堂と見紛う大きな門があります。それが“三門(山門)”です。
1750年に建立され、高さは約20m、内部には文殊菩薩と四天王像が安置されているとのこと。
「善光寺」と書かれた額の三文字に五羽の鳩が隠されていることから、“鳩字の額”とも呼ばれています。
本堂は創建以来十数回もの火災に遭ったそうです。
そのたびに復興され、現在の本堂は1707年(宝永4年)に完成したもので約300年の歴史を誇ります。
江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。
撞木(しゅもく)造りの巨大な本堂は、国宝の木造建築としては奈良の東大寺大仏殿に次ぐ規模だそうです。
鎌倉時代に親鸞聖人が善光寺に百日ほど滞在され、善光寺本尊に松の枝を奉納したと言われています。
松を手に持って奉納する親鸞聖人の銅像がありました。
さて、本堂内の拝観は次回長野来県時の楽しみにとっておいて帰路につくことにします。
日が暮れてきましたし、“三門”を背にして“仁王門”に向かって“仲見世通り”を下り、そのまま徒歩で長野駅まで行くことにしました。
夕食前のいい運動です。この日は駅近辺のビジネスホテルで宿泊です。
シングルを予約しましが、ホテル側がツインを用意してくれました。広々としていてゆっくり休めました。
翌日午後、仕事の移動途中に“ホクト文化ホール(長野県県民文化会館)”前で休憩。
あいにくの曇り空でしたが、木々の紅葉が始まっていました。
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