山内一豊(やまうち かつとよ/かずとよ)の立身出世を内助の功で支えた妻・千代…
「千代がいなければ一豊が国持ち大名になるなどありえなかった」と、“功名が辻”の著者 司馬遼太郎さんが評しています。
戦国武将であり土佐藩初代藩主でもある山内一豊と千代の婚礼の記念碑が岐阜公園内にあります。
平成17年11月22日に製作されたそうな。
千代の鏡
千代が一豊に嫁ぐ際
「夫の大事に初めて之を使うように」
と言い含められ
鏡箱に金10枚を忍ばせ持参した
貧しい暮らしながらも
千代は決して
その隠し金を使わなかった
ある日 市に出された名馬に
一豊は釘付けになる
値は誰も手が出ない金10枚
千代は隠し金を一豊に差し出し
ついに一豊は名馬を手に入れる
信長家臣が競う馬揃えの晴れ舞台
信長から名馬とその心構えを讃えられ
一豊は出世を掴む事になる
山内一豊と千代 婚礼の地
永禄10年(1,567年)9月18日
織田信長が岐阜に本拠を移した時
下級武士である山内一豊も岐阜に移りました
岐阜城下に居を構えた一豊は
時をおかず千代を迎え
新婚生活を始めました
婚礼の日
「一国の主になる夢を二人で叶えましょう」
「生涯私だけを愛してください」
と誓いを交わし
その後 一豊は長浜・掛川・土佐の国主へと
出世していきました
“千代の鏡”ともう一つ、内助の功で有名なエピソード“笠の緒の密書”がありますね。
(写真は昨夏に撮影したものです)
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